2016年1月17日日曜日

映画『按摩と女』のロケ地探し


 今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる、と金色夜叉の間貫一が言ったのは、1月17日だそうで、今日がその日にあたる。貫一が言ったように今日は曇りのち雨または雪だ。
 この金色夜叉の作者、尾崎紅葉はこの小説をとある温泉の佐野屋という旅館で書いたという。金色夜叉といえば、この映画『按摩と女』の監督清水宏もまた1937年に撮っている。その翌年1938年に『按摩と女』は公開されている。
 さて、この映画のロケ地はどこかと探してみたら、ちょっと面白いことになった。で、このロケ地は那須塩原温泉郷の畑下(はたおり)温泉だった。一般に塩原温泉といわれるが、塩原温泉という名の温泉はなく、11からなる温泉群をひとまとめにして塩原温泉と呼んでいる。この畑下温泉はその塩原11湯のひとつになっている。実はこの温泉こそ、尾崎紅葉が篭って金色夜叉を書いたとされる佐野屋のある場所だった。その佐野屋は現在は清琴楼と名を変え、現在に至っている。
 
 畑下温泉を見るには、googleストリートビューを利用できるので、現在の姿をみてみよう。ただし2013年の画像なので、2016年現在はいくらか変わっている可能性もある。






映画の一場面






 温泉街へ降りるには、ストリートビュー画面の右側に階段があるほか、映画でも見たように馬車が往来した坂道が左側にある。この地点の直下を温泉街側から撮った場面が左。右は温泉街へ通じる坂道。下はこの坂道側から撮ったもの。映画撮影時の建物はすべてなくなっている。















 ストリートビューで見るとこうなる。レンズが広角レンズと思われるので、遠くのものがより遠く、小さく見える。映画とは遠近感がだいぶ違ってくる。




  反対方向の温泉街を見てみよう。左は通常の高さで、右は少し高い場所からで位置が少しずれる。ここでは奥の2階建てと手前の3階建て建物間にはさまれた小屋が見える。ストリートビューでもこの位置に現在でも小屋が見られる。この小屋は、地元専用の共同温泉で、「下のと呼ばれている。映画の位置と現在の位置はおそらくほとんど変わっていないとすれば、奥の2階建て建物は、現在の福久寿苑だろう。






























  この先を見てみよう。上の左側の画像に白っぽい小屋が奥に見えるが、下の2枚はこの近く。この小屋も下の湯同様の共同温泉のようだ。ストリートビューでもこの辺りに物置のような建物がある。どうも温泉のような感じではないが、場所からすると共同温泉またはその跡かもしれない。
  映画の場面をみると、この小屋を境にして道幅が狭まっている。現在この小屋は道路から後退している。小屋背後の2階建ての建物は現在はないが、道路と敷地との境界線をみると、やはり現在でも狭まっている。下の2枚はさらに奥。右の画像は逆方向を撮ったものだ。ここに清琴楼があるはずなのだが、まだ現在の外観にはなっていなかったようだ。



























































 ストリートビューを先へ進めよう。一本道を道なりに進むとやがて突き当たり。そこを右に大きく曲がって行くと下の場所に出る。





  左下の画像はこの辺りだろう。この画像の左側にある小屋の先に河原へ下りる短い坂があり、そこを行くと、対岸へ渡るための板が並べられている。この板は、古い航空写真でも確認できるが、70年代にはみえなくなる。いつかはわからないが大規模の護岸工事が行われており、それに伴って川沿いの道や建物が変わっているようだ。ストリートビューではこの道の右側に古い木造2階建ての建物がみえるが、左下の画像の右側、樹木に隠れてそれらしき建物がみえる。屋根の高さや向きが一致する。これがそれだとすると、薄いグリーンのトタンの建物が、当時の小屋があった辺りだろうかと思われる。
  現在の地図や地形図でも河原に下りるらしい道が記されているが、ストリートビューでは不明だ、と思ったら国道400号線から見ることができた。傾斜からすると当時のものとは異なり、護岸工事に伴って新たに造られた坂道のようだ。下中央の画像で対岸から見た橋、河原へ降りる道、小屋を見ることができる。

小屋から橋と対岸の様子









さらにこの河原をみていこう。左下は橋を渡って対岸から下流を望む位置にカメラがある。橋と河原に下りる坂がみえる。背後の山の稜線は、すぐ上流に架かる八汐橋からのストリートビューでみることができる。この場面では横からの水の流れを渡るところが撮られているが、この横からの流れ込みも地図やら航空写真でも見ることができるが、だいぶ様子が異なっている。右下では橋の側から上流方面を撮っている。崖上の建物や、川沿いの温泉がみられるが、この風景も護岸工事で失われてしまったようだ。






残念ながら那須塩原へ現地調査へ出向くことはできないので、現在の河原の様子まではわからない。八汐橋からのストリートビューで、畑下温泉とはお別れしよう。







 次にオープニングの場所をみよう。ここはいったいどの辺りなのかまったくわからなかったのだが、古い画像を探しているうちに似た場所を見つけた。「おかね道」という塩原の名所で、古い絵葉書に登場する。最近この絵葉書を入手できたので、下に載せた。『(塩原名勝) 塩乃湯 (おかね道)』と書かれたおそらく彩色写真だろう。電柱がないので映画より古いのかと思いきや、よく見ると数本の電柱が消されているのがはっきりとわかる。とすると映画とほぼ同じ時期の写真なのかもしれない。ここは箒川方面から塩の湯温泉へ向かう道だ。この「おかね」は人名で、この道を作るのに尽力した女性だそうだ。現在はおかね道橋が作られて、この道は使われていないようだ。ストリートビューも入っていかないので、現在どのようになっているかは知る術はないが、おかね道橋からのストリートビューでわずかに岸壁の様子がうかがえる。




 左下の画像では、橋のような場所を渡っているが、沢のようなものがあるのだろう。ここを境に岩壁が連続する道になっており、古い絵葉書に出てくるおかね道と一致する。映画は二人連れがこの橋の上を歩いている場面から始まる。右下の画像は岩壁が終わり、道が大きく曲がる手前の場所で、おかね道橋のストリートビューで見えるのはこの辺りのようだ。







岩壁の道を大きく曲がると、馬車に追い越される場所になる。画像の左側、崖の縁に板のようなものが渡されているのがみえる。崖上に行くための道か階段があるようだ。



ストリートビューをみてみよう。正面におかね道橋、橋の終わり、左側へ行く道路がおかね道。あとは画像のとおりだ。









続編を追加しました。