2022年12月28日水曜日

映画『有りがたうさん』のロケ地探し 言い訳三昧

  ずいぶん長らく書かずにいた。この先はわからない場所が多くなり、また以前に書いた場所と重なることから、どのように処理していこうか迷いがあった。また過去の分も含めて新しい情報が得られたり、これらをどう反映させるかも迷った。


さてこの先、旧嵯峨沢橋と思われる橋が登場する。




 

 













この橋と同じ橋が登場する清水宏作品がYoutubeで見られる。



















 それが『団栗と椎の実』(1941)の冒頭のシーンだ。この場面では、反対側からも撮影しており、それが下の場面になり、地形からして嵯峨沢橋らしさを感じさせるのだが、確たる証拠がないのは河津隧道と同じで古い写真でも出てくるとよいのだが。




















 では『団栗と椎の実』は湯ヶ島で撮影されたのかというとそうでもなさそうで、大仁とか三島辺りでも撮影されたのではないかと思えてくる。湯ヶ島にはなさそうな場所が多いからだ。これは『子供の四季』(1939)と似たような感じなのかもしれない。



 清水宏『小原庄助さん』(1949年)もそちら方面で撮影されたそうで、当時の田園風景は興味深いものがある。


湯ヶ島といえば今年は芦川いずみ主演『しろばんば』(1962年)がDVD化されて登場し、モノクロながら、高画質で古い湯ヶ島の風景を見ることができる。この映画になるとほかの人たちのロケ地探索も進んでいて、あまり探しどころは多くはなさそうだ。

河津隧道の話が出たついでに、下の画像。これも今年DVD化されて発売された内藤洋子版『伊豆の踊子』(1967年)のワンシーン。もしや河津隧道、と思いきやどうも別のトンネルで、長瀬隧道(旧三津坂隧道)のようだ。














だいぶ頭の中が混乱して、なかなか本来の有りがたうさんにたどり着けない。新しい情報それに対する関心、すでに書いていることの修正、補填等をどうするか。いろいろ悩みながら、ぼちぼちと進んでいこう。




映画『按摩と女』ロケ地探し NO.2

 


『按摩と女』 のロケ地が那須塩原温泉郷の畑下温泉ではなかろうかと書いてから、数年間はあまり読まれることもなく何の反響もない時間ばかりが過ぎていったのだが、ここ2年ほどでいくらか知られてきたように思える。反響がまるでないと訂正やら追加やらする気も薄くなりがちで、もともと十分満足するというレベルではないとわかってはいるものの半ば放置状態で他の興味に目が向いていた。清水宏監督の『有りがたうさん』などは全編ロケ地で大いに興味をそそられてきたのだが、範囲があまりに広いうえに、他の清水作品や別の監督による作品などにも関心が行き、あちらはいささか頓挫気味になってしまっている。

 今回は気分転換もかねて、当時は書き足りなかったことや新しくわかったことなどを記していこうと思う。

 映画では滝が出てくる場面がある。滝のある温泉街なら探せばすぐに見つかるだろう、というのがこの映画のロケ地探しの端緒だった。いくつかみながらそれらしき滝を見つけたのが那須塩原温泉郷の七絃の滝だった。が、簡単に近づける場所ではないことからこれではないと判断。では塩原温泉郷にそれらしき場所はないかとストリートビューを見ていたら、塩原街道から見下ろせる位置にある温泉街を見つけた。これが畑下温泉でその時点でほぼ同じ温泉街に間違いないと思った。


 映画に出てくる滝が七絃の滝ではないのなら、この滝はどこか。

 画像検索しても那須塩原近辺の滝にはそれらしい滝は見つからない。そこで前回のブログでは滝に触れることがなかった。

 のちにこれは吉井の滝と呼ばれる滝ではないか思えるようになった。この滝は畑下温泉の箒川を挟んだ対岸の崖から流れ落ちる滝で、現在は前面に国道のバイパス橋がかかる上に、樹木に遮られてみることはできない。この滝に気づくきっかけは古い絵葉書の画像で、確かに落差のある立派な滝が写っている。この滝は尾崎紅葉『金色夜叉』に出てくる滝だった(続金色夜叉第二章)。畑下温泉清琴楼のホームページにはこの吉井の滝が写った古写真がちらっと出てくる。栃木県塩原温泉・清琴楼(せいきんろう) 金色夜叉ゆかりの温泉旅館 (seikinro.co.jp)

 現在この滝ははっきりとは見ることはできない。すぐ前を国道のバイパス橋が横切り、その工事の影響がどうなっているのかわからない。ストリートビューでは奥に僅かに滝を見ることができる。というわけで、映画に出てくる滝は吉井の滝ではなかったのかとは思うが、確証はえられない。



 







 




 


















 この背後の石垣、ストリートビューの石垣に似ていないか、と思ったがここだと断言するのにはデータ不足。陰影をはっきりさせるためにカラー化サイトを利用してみた画像をあげてみたが、同じ高さ、角度からの写真があれば肯定するにしても否定するにしてもいいのだが、これだけではなんともいえない。ちなみにこの建物は今はなくなっているようで、いずれはこの石垣が撤去されるとも思われる。







 



 以前のブログで板の橋が古い航空写真にうっすらと写っていると書いたが、国土交通省の1948年の航空写真でみるとそれが確認できる。現在ではなくなったが、金色夜叉でもこの橋は触れられていて、それなりに長く使われたもののようだ。対岸の土地利用が現在とは大きく変わっているのもわかる。


国土交通省 1948 USA-M890-1-7ac























こちらはGogoleの航空写真。板の橋がなくなっているのがわかる。

地図で八方道路と書かれた橋から少し下流側、地図で言えば右側に白いコンクリートの広場のような場所が見える。これがどうも浴場跡のようだ。地図の中央付近、箒川と記された左側から水が流れている。対岸のストリートビューでも水路が確認できる。

 


 下の映画の一場面で見ると、二人の手前に水が流れているのがわかる。これが上で見た水路のようだ。対岸の温泉場らしきものが見える。これが上の地図にあるコンクリート敷の場所だとすると、Gogoleマップでは、水路のあたりから、上流側を撮った場面だと思われる。当時はなかった橋や護岸が、景観を大きく変えているのがわかる。当時瀞場だった場所に土砂が流れ込んいるような様子も見える。