2017年2月5日日曜日

伊豆 下田街道旧道

 最近は行かなくなった、というより行けなくなってしまったが、伊豆にはよく渓流釣りに出かけた。渓流に何度か足を運んでいるうちに、目前に広がる渓流の美しさを写真にしておきたいと思うようになった。まだフィルムの時代で、撮ってはみるもののピンボケ写真を連発、フィルム代、現像料と金がかかることもあって、いつしかカメラを持っていくこともなくなった。
 長い中断を経て再び渓流に戻ると懐にはコンパクトデジタルカメラを忍ばせた。だが次第に画質を求めるようになって、カメラも大型化していくことになった。

 この写真は下田街道旧道にある川端康成文学碑。写真の左側の崖下に本谷川(狩野川の源流)が流れている。一帯は水生地と呼ばれている場所だと思うが、地図があって場所がしめされているわけではないのではっきりとはわからない。
 
下田街道旧道 

映画『有りがたうさん』(1936年)のロケ地探し 1

 

 今回は清水宏『有りがたうさん』(1936年)のロケ地探しにしよう。今回は、といっても一度では済まないので、何回かに分けるしかない。しかもあと何回で終わるかなどはまだわからない。そもそもこの映画は、いわゆるロードムービーというやつで、走るバスの中が舞台であって、長い路線上の多くの場所が映し出される。だから登場する場所は多いうえに、なおかつ離れているとくる。
 この映画では車中の俳優陣の映像と、固定カメラと移動するカメラから主に風景を撮った映像があり、ここで扱うのは後の二つになる。というのも移動するバスの車窓に風景は映し出されるのだが、カメラの焦点は演技者に充てられているためにピントが合っておらず判別が難しいうえに、ドラマの間に挿入される風景のみを撮った映像と場所が違っていたりするからだ。


 この映画には導入部というべきものがあって、その最後にサイレント映画風の解説が現れる。最初の場面からここまでが導入部で、いくつかの場所がランダムに現れることになる。

 最初の 記念すべき?場面がこの場所だ。


 


 
 この場所を気に入ったのか、他にもここで撮られたシーンがある。映画の中で、バスが崖下に転落しかける場面があるが、それがここでもある。下の場所はその場所から立ち去る際の固定カメラの映像だ。カメラの位置が異なるが、映し出され風景は同じだ。日の差す方向が異なるほか、崖側に置かれているものも異なるようで、 別の日に撮られたものかもしれない。





 この場所を撮ったのはこれだけではなく、映画のほぼ終わり付近でも、ここが映し出される。今度は逆方向から走行する車を使って撮影されている。この映像で、この場所の様子がわかってくる。
 




 今では考えられないような風景が眼前に広がる。ここに映し出される映像は、かつてこの道を旅した多くの文人が見たものとほぼ同じものだろう。徳富蘇峰は対話形式をとりながら、この風景を讃えている。与謝野晶子は月夜の晩に車でこの道を通り、落ちないかとはらはらしたと述懐している。しかし、今この道を通るなら、徳富蘇峰も与謝野晶子も何言ってるの、ということになってしまうだろう。 大きな谷の景観も転落の危険も感じない道路へと変わっているからだ。かといってこの風景が失われたというわけではない。木々が成長して視界を遮っているから遠景を見渡せないのだ。この当時の視界の広がった風景は有料道路によくある○○スカイラインなどに見られたりする。伊豆スカイラインや西伊豆スカイラインにも視界が開け、遠景を見渡せる場所がいくつかある。そう考えると、当時のこの道路は現在のスカイラインのようなものなのかもしれない。

 この動画の終わり付近、荷馬車に積んでいるものをみれば、この当時の山が現代からすればはげ山なのが理解されるだろう。その積み荷は薪だ。単に建築用の資材を得るための伐採だけではなく、薪を取るために、あちこちの山がはげ山になっているのだ。昔話の冒頭によくある、おじいさんは山に柴刈りにという言葉が示すように、薪を取るという作業は昔の生活の主要な作業の一つとして重要だった。毎日の炊飯やら風呂焚きの燃料として欠くことにできないものだったのだから。ガスや灯油が燃料として使われるようになり、薪が必要でなくなったとき、山は緑に包まれろようになった。それもさほど遠くない時代の出来事だ。

 この映像の最後をみてみよう。





  こ場面では後方にしっかりと山の稜線が写し出されている。これが場所探しに手掛かりの一つになるのだが、残念ながらストリートビューでは天候が悪く、視界が遮られているので、それだけでは場所を特定できなかった。



 さて冒頭の画面に戻ろう。遠くへ延びる道路はやがて斜面の向こうへと消えていくのだが、その手前に橋のような構築物が見える。道路の補強らしい。『按摩と女』でみた「おかね道」の古い写真をさがしていたら、このような感じの補強をみた。ここもおそらくそうした補強なのだろう。
 このあたりでも別の撮影が行われている。ハイキングの男女二人連れを追い越す場面だ。


  当時の道路がどのような状態だったかがわかる。2度カットが入るが、これはオリジナルのカットでこちらのカットではない。
 このシーンでは面白いことが起こる。追い越すシーンと追い越した直後のシーンを見ると、二人のいる場所がおかしい。追いつかれた場所から大きく後退しているのだ。なぜ後退したかというと、すぐにカーブにさしかかってしまうので、追い越した場所から撮ろうとする俳優がカメラに収まる前にカーブには入ってしまうからだろう。それなら追い越す場面を取り直せばいいということにはならなかった。少しくらい下げても誰見気づかないだろうからこのまま行こうとなったのかもしれない。でもデジタル化された映像では簡単に見破られてしまう。

 この付近で撮られた映像は他にあるのだが、この辺で止めておこう。
  
続く




2017年2月4日土曜日

一枚の写真 映画『有りがたううさん』の一場面から 2

 分岐点を右へ行くと当時の新道となり、現在の国道に合流することになる。映画当時はまだ浄蓮滝駐車場へ直進する道路はなく、天城隧道方面からくると右に大きく曲がっていった。

 下の場面はお通夜へ行くためにバスを止める乗客だ。この客が乗ってきたために、祝言のためにバスへ乗った二人連れが縁起が悪いとバスを降りる。それが前回の場所だ。



 

ストリートビューで見ると、この辺り。決め手は左側にある石像群ということになる。







映画の進行とは逆に行っているが、祝言のために乗り込んだ二人連れがバスを止めたのが下の場所だ。この場所はなかなかわからなかった。当初の予想では前回触れた旧道ではないかと思っていた。ストリートビューで見るとわかるのだが、ここと似た場所があったりする。しかしよく見るとどうも違うということになった。
 
































 それではどこか。古い航空写真などを参考にしながら割り出したストリービューの位置は以下の場所だった。現在は人家はないが、古い航空写真には数件の建物があったことが確認できる。







一枚の写真 映画『有りがたううさん』の一場面から

一枚の写真をまずあげておこう。



この写真は伊豆の踊子歩道の一部に指定されている道路で、浄蓮の滝駐車場から国道を渡って脇道に入っていくとこの場所に至る。詳しくは後でストリートビューを出しておくので、そちらで確認できる。この写真を撮ったころは、まだストリートビューはこの道路には入っておらず、この道が『有りがたうさん』の撮影に使われた道路なのか定かではなかった。それ故に、釣りのついでに行ってみて、写真を撮っておこうということになった。
 さて映画『有りがたうさん』 (1936年)は清水宏監督の以前取り上げた『按摩と女』に先立って公開された映画で、伊豆をロケに使っている。いわゆるロードムービーというやつで、路線のあちこちで撮るものだから非常に広範囲でかつ取られる場所も格段に多くなる。
 この映画を初めて見たとき、いくつかはすぐにあの場所だとわかった。そうなると、他の場所はどこなのか興味が湧いてくる。ストリートビューがまだ伊豆に入っていない頃なので。実際に行ってみないとわからない状態だった。あの辺りかなと思っても、実際に現地で確認しないと何ともいえないかった。そこで現地に行って撮ったのがこの写真だが、実のところ偶然写っていたというにすぎない。この道路が旧道だと知って、とりあえずは写真を撮ったというところだ。

 さて映画の一場面をみてみよう。
 映画では天城隧道を超えると、途端にバスの乗客の入れ替わりが激しくなってくる。この場面は祝言に行くためにバスに乗った夫婦が新たにお通夜に行くためにバスに乗り込んできた客と一緒に行くのは縁起が悪いとバスを降りたところだ。
 

  レンズの違いで遠近感が違うが、それを承知でよく見比べてみると、背景の山の形が同じだ。映画の方は右側に少しとがった場所が見えるが、これは成長した気に隠れているだけで、ストリートビューで、この場所から前進して眺めてみれば同じだとわかる。
 上の写真では道路の右側にガードレールが見えるがここに落差のある水路があるために、転落防止用に設けられたもののだろう。水路は道路に沿って作られており、映画に見られる水車はこの水路を使ったものだ。

 さていよいよストリートビューだ。






 この道路を進んでいくとやがて分岐に差し掛かる。直進する道路は細くなっており、こちらが踊子歩道とされいている。というのもこちらが旧道で、島崎藤村の文学碑があったりする。右側は映画撮影当時にはすでにできていた当時の新道になる。それを知らず、旧道が当時の撮影に使われたのではないかとトコトコと旧道を歩いて行った。雰囲気はいかにもという感じで、ここで撮られたのではと推測してみたりしたが外れた。

 映画はここを右折してすぐの場所でも撮影されているのだが、長くなるのでここでやめておこう。
 
続く