2020年12月10日木曜日

映画『有りがたうさん』(1936年)のロケ地探し 15

 前のシーンからフィルムは途切れることなく、次の場所を写し出す。そこへ子連れの旅芸人が登場する。



































その場所が下のストリートビューで示した辺り。最近始まった伊豆縦貫道の工事で様子が一変している。国道414号線に沿った場所に道路標識があって、その下に赤いポールで通行止めになっている坂道があり、それが古い道路になる。その左に作られた広い下り坂が新しい道で、この入り口辺りが、映画でバスが止まった場所のようだ。









  これは逆方向からのもの。現在の道路と比較するとかなり曲がりくねっている。この古い道路の先、中央付近の道路際に小さく木が写っているが、道路を挟んで向かい側に廃屋のような建物が隠れている。




























 

 

 

 

 

 停車したバスの車窓に広がる風景。山の稜線が下のストリートビューと概ね一致する。

 

 


































 

 

 

 

 

この後、映画は同じ場所に焦点をあてて下田街道上を進んでいく。 中央の下っていく坂は現在の県道115号線で、左側の道路が下田街道になる。

 

 


 

                                    



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  下田縦貫道の工事前のストリートビューが下の画像。

 

 

 

 

 映画はこの後しばらく車内を撮り、やがて次の場所が現れる。しかしこの場所、探してもそれらしき場所がみつけられなかった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  そして次の風景。カメラの位置は異なってもだいたい同じ場所を映している

 

 

 

 

 
















































 

 

  ずいぶん変わってしまったので、疑念を持たれるかもしれないが、90年代初めにここを初めて訪れた頃は、山の方へ向かっていく坂道は現在のようにカーブをつけたものではなく、むしろ映画に近い状態だった。狭い道なので、車で上がっていけるかどうかを確認するために、車を降りて徒歩で確認しに行ったものだった。道路沿いのワサビ店はその頃はもうすでに建っていた。

 

 

 

2020年9月10日木曜日

映画『有りがたうさん』(1936年)のロケ地探し 14

 河津橋を渡るとバスは湯ケ野へ到着し、映画のうえではここで休憩となるのだが、現在の湯ケ野と当時のそれとではまるで別世界で、道路は大幅に拡張され当時の建物も残っていない。だから休憩中のバスの中から見える建物は湯ケ野のそれであるかどうかもわからない。ここまでくると、郷土資料館や役場、図書館等を使って調べないと打つ手がない。こういう場合は古い絵葉書などに当時の家並が写っていればよいのだが、ネット上では、湯ケ野の街道沿いの建物が写っている画像については見当たらない。1954年公開の美空ひばり版『伊豆の踊子』には当時の未舗装の街道に沿って立つ建物がちらっと写るのだが、『有りがたうさん』と一致する建物は見つからない。

 この湯ケ野の位置は、他の人の手によって明らかになっているのでダブる形になるが、そこをみてみよう。
黄色い円の擁壁部分が現在も残っている。







 ストリートビュー でみるとこの辺りだろうか。道路が大幅に拡幅され、河津川方面の建物が軒並み消えてしまっているので、正確な位置はわからない。






 次の場面はバス後方の窓からクルマが追い付いてくるところ撮った場面。



































 山の稜線が一致するので、この辺りかとはおもうのだが、見ての通り道路沿いは別の世界と化しているので正確な場所はわからない。





 次のシーンは後続のクルマに道を譲った後、バスが走り出した場面。バスはすでに上で見た擁壁の前を走っている。バスの左側に建物があるのだが、これはすでになく、現在の湯ケ野入り口かその脇辺りにあったものと思われる。
 手前の右側には水がしたたり落ちる樽が見えている。


































 ストリートビューでみるとこの辺りなのだが、あえて右側にある水路に焦点をあててみた。この水路の水が、樽の中に引き込まれていたのだろうと考えられる。








 湯ケ野からの坂道をバスは登っていく。映画で見ると緩やかな上り坂に見えるが、実際は結構勾配のある坂道だ。ここはカメラが前進しながら風景をとらえていく。ここはポイントが多いので、二つ画像をあげる。





































 下の写真右側に稲葉醫院と書かれた看板が見える。ここに脇道があって、その坂道を上がると稲葉医院があったらしい。この医院は10年近く前までは開業していたがいまはもうなくった。
 看板の向こう側には階段が見えるが、この階段はコンクリートに姿を変えて現存している。左側の建物は道路の拡幅などで今はない。右側の建物は外装は異なるが、骨組みは当時のもののようにも見える。




以上は下のストリートビューでチェックできる。






 次に出てくる場所がここ。車に積んだカメラで左側の風景を写していく。このシーンの直後に出てくる場所を考えると、稲葉医院の少し先、左側の開けた場所から撮った風景だ、とずっと思っていたのだがそこではなかった。下田と思わせて稲取、と同じやり方だった。この場所についてはもう少し先へ進んだ場所だとわかっているので、そちらで見ることにしよう。


































 次の場所はここ。右側に古い建物が見える。廃屋のようにも見えるが、定かではない。
 初めて自分で車を運転してこの辺りを通ったのは1990年代前半の頃で、湯ケ野はまだ道路の拡幅前で、河津川側にも建物が並んでいた。その拡幅前、湯ケ野の手前に道路沿いの廃屋があったのを覚えている。目立つ位置にあったのでよく覚えているのだが、拡幅後に通ってみるとこの廃屋がなくなっていた。その後、廃屋のあったと思われる場所に、奥行きのあまりない更地が残されていた。不動産の所有者の問題とか、収用上の問題とかいろいろとあったのかもしれない。






























右側の物置が置かれている部分が建物のあった場所と思われる。ストリートビューは2012年まで遡ることができるので、物置設置前の状態を見られる。
























2020年8月31日月曜日

映画『有りがたうさん』(1936年)のロケ地探し 13

 東海岸をワープしながら進んだ映画もここからはいよいよ内陸へと向かうことになる。白浜を砂塵を上げながら走り去るシーンの直後は下の場面になる。バスの窓から娘役の惜別の表情を横からとらえる。






















 この直後は海から遠ざかる場面。去り行く海への惜別といったところだろうか。
 この場所についてはまだわかっていない。コメントを頂いたように、非常に特徴的な地形ですぐにわかるのではという気にもなるのだが、東海岸の南の方は1970年代の二つの地震で地滑り等の大きな被害にあっており、道路がかなり変わっていたりする。また鉄道が通ることにより開発も進み、戦前の様子とはだいぶ違っているようだ。

























この直後は再度惜別。今度は後ろから撮影だ。















 




 この娘役を演じるのは築地まゆみ。1920年生れで、映画公開時は16歳。2020年は生誕100年となる。公開の翌年、急性肺炎で短い一生を終える。
 2020年、コロナと呼ばれるのが一般的になった感染症だが、当初は新型肺炎と呼ばれることも多かった。事情を知ると、惜別の表情も物悲しい。




次に現れる二つの場所も残念ながら不明だ。


















 次に登場するのがトンネル。旧峰山トンネルだという説があるが、現在廃道なので現状はわからない。ただ古い航空写真と照合すると、道路の曲がり具合が一致するので、旧峰山トンネルなのだろうと思われる。旧峰山トンネル、といってしまったが、本来の名前は『河津隧道』というようだ。ここでようやく本来の下田街道になる。映画の伊豆の踊子などでは完全に無視された下田・河津間の一部が姿を現す。













 














  トンネルの次の場面は河津。







































 道路沿いには樹木が繁茂して眺望が悪く、正確な場所ではないと思うが、まあこの辺りか。



























 次の場所は河津川に架かる旧河津橋。現在の橋はコンクリートのアーチ橋で、やや下流側に作られたようだ。




































 草木に遮られて橋が見えないが、セブンイレブン駐車場脇の赤いアスファルトが、橋を渡った先。












 この後、映画は河津橋を渡りながら、河津川上流部を撮っていく。下は2013年撮影の写真になる。左側の樹木の成長は当時のままのようだ。その一方、手前の大きない岩は当時と変わらないようだ。この右側部分は床止工事がされて、大きなコンクリートブロックが川底に埋め込まれているが、工事の影響は受けなかったようだ。














































ストリートビューではこの辺り。右側に古い橋の跡らしきものがみえる。
















2020年8月22日土曜日

映画『電送人間』(1960年のロケ地 伊豆白浜


 古い映画を見ていたら、こんな場面に出くわした。





















 背後にいままで見てきた爪木崎と爪木島がはっきりと写っているこの場面が出てくるのが映画『電送人間』(1960年)だ。この映画の詳しい事はリンク先に譲るとして、こういうシーンを見ると、ここはどこだ?という関心わいてくるのだが、詳しく調べている余裕はないので、分かった範囲で見ていくとしよう。

 まずは、この場所に至る映画でのストーリーはこうだ。
 連続殺人鬼と化した電送人間から殺人予告を受けた河津清三郎演じる大西正義は手下を従え、愛知県知多半島の小篠島へと避難する。知多半島の先には篠島という島が実在するが、小篠島という島はない。この架空の島に見立てて、伊豆白浜のとある場所をロケ地として使っているのがこの映画だ。



下の場面が大西たちが小篠島に到着したところ。








 














 ストリートビューでみると、下の場所。板戸一色(いたどいちき)が地名のようで、一色海岸とか板戸海岸と呼ばれる。









 下の場面は一行が上陸して、避難場所の別荘へ向かうところ。ストリートビューの左側に円で囲んだ石垣が見えるはずだ。当時はなかった草が上一面を覆っているほか、土台部分もスロープの改修に合わせて補強してあるようだ。
























  先頭を歩く茶色のコートを着た河津清三郎の先に水路があって水が流れている。ストーリーの順からは外れるが、下の場面では、左側に橋がみられる。この下に小さな川が流れており、この流れが上の場面の水路となっている。この橋はストリートビューで見られる橋と同一のもののようだ。






















 下の場面は板戸一色海岸がこの映画に最初に登場する際のもので、浜から道路の上を右側に移動しながら撮ったシーンで、それぞれ特徴的な4本の木が写っている。























 これが道路上からのストリートビューで見られる。






60年経つとこのように成長する。4本あった木は3本になってしまい、それぞれ成長の違いも強く出ている。


  ストリートビューでは橋から先へと進まないので、現状はどうなっているのかわからないが、竜宮島という島がある。下の場面に出てくる島がその竜宮島だ。画像を検索すると出てくるので確認できると思う。
























 さて、電送人間が小篠島に現れるとみた警察は、小篠島へと急行する。その途中に出てくる美しい風景が下の場所で、パノラマ合成をしてみた。ここは1960年頃の河津川の河口付近だ。





















 下は2019年7月の風景。長い間そこに立ち続けた松の大木は失われ、建物は移り変わり、橋は新しくなり、道路は拡幅され、昔はなかった信号や街灯が作られたが、山の稜線は変わることなく残っている。










この後、とある町が出てくるのだが、どこなのかはわからない。









次に出てくるのが師崎で、これは知多半島先端にある実在の場所。だが周囲の様子をみると、映画に出てくる師崎とは違うようだ。ここも今のところ分からない。




















 

  ここで船を調達し、小篠島に上陸直前の場面が冒頭のシーンだ。

 船着場から上陸してスロープの先へと進むと、下の場所になる。ここはストリートビューが入らないので、現状はわからないが、撮影当時の空中写真を見ると、建物が2棟並んで建っているのがわかり、警察隊背後の平屋の建物がそれのようだ。




























この建物の先に狭い坂道があり、この映画ではこの坂道が別荘への道と想定されている。下の場面は警官隊が坂道を別荘へと急行するところだ。





























 警官隊がさらに別荘に近づく。石垣の上に繁茂するのは現在でもこの地区の名物であるアロエの群生で、板戸一色はアロエの里として知られる。
 左側の小道が別荘へと向かう道と想定されている。





















 下の場面は、別荘から逃走する電送人間を追う警官隊で、上のシーンと場所は同じ。丸で囲んだ石垣が特徴的で、現在と変わりがないようだ。
 この小道の先は現在の地図をみると、警官隊が上がっていった坂道になる。



































 ストリートビューで見るとこの辺り。家が増え、道路は改修され、撮影当時の面影はなくなっている。海を望めた場所も樹木の繁茂で爪木崎もここからは望めなくなっている。










 下の画像は電送人間の逃走中のシーン。坂道を駆け下りて、建物の間を走り抜けていく。












































 この場所を見るとこの辺り。ここには蔦に囲まれた木造の建物がまだあるが、Googleの航空写真ではすでに無くなっている。







最後は電送装置が置いてある小屋へと逃げ込み、逃走を試みることになる。














































この場面を見ると、スロープの先に青い船と小屋のような建物がみえるので、電送人間が逃げ込んだ建物は、2棟並んだ建物の手前側の建物のようだ。
























 ここで電送人間は逃走に失敗し終焉を迎える。


 伊豆白浜の板戸一色が、電送人間終焉の地となった、ということでここは終わり。

2020年3月18日水曜日

映画『有りがたうさん』(1936年)のロケ地探し 12 と『恋の花咲く 伊豆の踊子』

 下田の白浜神社から、突然宇佐美の宮川橋を渡ると、映画はしばらく走るバス内部の様子を描く。その後は走りながらの風景のみを映し出すのだが、撮る位置を変えながらもほぼ同じ場所を撮っている。画面には岬の先に中央部が尖った島が見える。

































 ここを探すと下の場所が見つかった。この場所は地図上に白浜中央海水浴場という名前が出てくるが、地元では長田浜とも呼ばれているようだ。岬の先端部付近は瓜木崎で、中央部が尖った島は瓜木島だ。











 
 カメラがもう少し先に進んだところからの画像では、ストリートビューに映っていない防波堤のようなものが見える。これは上のストリートビューを動かせば左に見えてくる。
  下の画像で上の黄色い丸の中は、どうやらもともと自然にあった岩をコンクリートで固めたもののようで、湾曲した形状になっている。写真だとスケール感がないが、結構大きななものだ。
 下に見えるのは明らかに人工的に造られた防波堤といったものだ。当時のものと現在のものとが同じであるかは定かではないが、補修した跡もあるので延長されていたりするかもしれない。








































これと同じものが映った別の映画がある。下の画像がそれで、画面右に先端部分が写っている。この映画は1933年(昭和8年)に公開された五所平之助監督恋の花咲く 伊豆の踊子』で、伊豆の踊子の最初の映画化作品であり、サイレント映画でもある。有りがたうさん』の公開の先立つ3年前のことだたった。
 学生役は大日方傳。踊り子役は大女優田中絹代で、この映画以前短い期間ながら清水宏と婚姻関係にあった。




































 これだけでは長田浜なのかわからないので、別の画像をみてみよう。













ストリートビューでみると大体この辺りのようだ。当時はなかった建物や樹木が視界を遮っているので、正確な場所を見つけるのは難しい。







左下は『有りがたうさん』で、この場所から去っていく最後のシーン、右下は『伊豆の踊子』で白浜が現れる最初の場面となる。同じ道路上で近い場所と思われる。






 































ストリートビューでみるとこの辺りかと思われるが、ここも当時はなかった建物や樹木で遮られて特定は難しい。